決意を新たにすることって、大前研一氏が言うような価値のないことじゃないと思うんだ
やまでぃドットコム、リニューアルです!
「やるぞぉぉぉ!6月からやるぞぉぉぉ!!うおぉぉぉ!!!」
と心を奮い立たせ、ブログを書くことにしたわけですが、何を隠そう「旧やまでぃドットコム」は開始早々ほんの数記事で頓挫させてます。
でも、最近いまの自分自身を変えたくて、またブログを始めることを決意しました。
さて、そんな「決意を新たにすること」について、大前研一氏の有名な言葉があります。
人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。
ガーン…
僕の出鼻を挫くには十分すぎる、素晴らしいお言葉であります。
でもね、僕は思うんです。
というか言い訳をします。
無意味でもいいじゃーん、何か1つでも行動するんなら、思いつきレベルだって。
ちょっと気持ちを切り替えるだけで、例え結果が出なくても、例え大きな変化はなくても、そういう経験が残るし。
そもそも、最初から「変わらないもの」は無いんじゃないかな、人間というもの含めて。
だから「変わるには3つしかない」なんてことなくて、嫌が応にも変わっちゃう。人間、年だってとるし、ライフステージも変わる。
つまり、変わりたいと願うことは、「放っておいてもどうせ変わっちゃうんだけど、流されるままじゃなくて自分の意志で変えたい」っていうことなんでしょうね。
それには、新しいことをするか、過去を振り返って深堀するか、まぁどっちでもいいんだけど、とにかく「自分の意思で、いつもと違う、なにかおもしろそうなことをしよーっと」と思えれば良くて、それ自体は尊いことじゃないかと思うんですね。
決意を新たにして「ブログを書く」
決意を新たにして「旅に出る」
決意を新たにして「マンガを読む」
決意を新たにして「新聞を読む」
決意を新たにして「スマホを手放す」
決意を新たにして「禁酒する」
決意を新たにして「ランニングする」
などなど…
三日坊主に終わるかもしれない、でもやったことはやった、それでいいじゃない。
本にも読むべき時期がある、とよく言われます。それと似てて。
同じことをして、続かなかった(変われなかった)にしても、「今」じゃなかっただけで、もしもいつか「その時」がきたら、
「やったことある!あの時はすぐやめちゃったけど、やっといてよかった!」
なーんて三日坊主の経験が活きることがあるかもしれないですよね。(もちろん、ないかもしれないけど)
だから、決意を新たにして、小さなことでも何かするのきっかけになるのであれば、全く無意味だとは言えないと思います。
加えて、できれば決意を新たにしたことを誰かに言うと、なお良いですね!
宣言した決意や行動が、巡り巡って、大前研一氏の言う、住む場所が変わるような、会う人が変わるような、大きな変化を呼ぶことがあるかもしれません。
…そしたら人間変われるんですよね?
ほら、無意味じゃないじゃないかっ!!