鎮まりたまえ!怒りを鎮める3つキーワード
僕は仏教の思想が好きで、趣味で勉強しています。別にお坊さんでも宗教家でもないんですけど。
勉強するようになったきっかけは、数年前に職場で嫌なことがあった時のことです。
僕の中に、自分ではどうしようもない怒りが湧いてきました。自分の中に暴れ狂う龍がいるのではないか、と感じるくらいに。
それが、ただ腹立たしいだけでなく、苦しかったんですね。
この怒りをなんとかしたい!と悩んでいた時に、仏教の思想に出会いました。
仏教と絡めると、どうしても怪しい響きになってしまうけど、文字どおり「救われました」。
そこで僕が学んだ、怒りを鎮める仏教的観点のキーワードを3つ紹介します!
①無我
怒りの感情はなぜ生まれるのでしょうか。
それは期待を裏切られるからです。
期待とは自分が相手や状況に対して持つ願いです。
人はいろいろな時に怒ります。
子どもが言うことを聞かなかった時、
同僚が仕事を忘れていた時、
電車が遅れた時…。
そうやって相手や状況に対し怒る、それは相手に原因があるように思えるけれど、実は怒りの感情の根源は「自分の願い」。
※もっと細かく表現するならば「執着」といいます
自分は子どもにおとなしくしていてほしいが、子どもはじっとしていられない。
自分は同僚に言ったことを覚えていてくれるだろうと思っていたが、同僚は忘れていた。
自分は電車が時刻通りに動いているのが常識だと思うが、電車が遅れていた。
このような期待と事象のギャップが怒りになります。
言うなれば、自分が勝手に思い込んでいるワガママ(我が儘)が怒りに変わるわけです。
つまり、怒る人はワガママな人です。自分の願いや感情を優先する自己中な人です。
自分はワガママ?自己中?そう思いたい人はいないのではないでしょうか。
ということで、怒りを感じたら、その根本にある自分の願いを手放してしまいます。
自分の事情を感情のスタートにしないことです。これが無我です。
子どもには子どもの理由があり、
同僚は様々な別の作業あるなか情報も限られていて(しかも精神的に傷ついているのかもしれない)、
電車はトラブルがあれば安全のため遅れるもの。
それらのことは、自分とは関係がありません。関係ないので、怒る必要もありません。
②無常
怒りは1時間後も同じでしょうか?1日後は?1ヶ月後は?
そして怒りには、それに至るまでのストーリーがあります。
特にわかりやすいケースは、急いでいる時。
「急いでるんだから早くしてよ!」「急いでる時に限って何でそうなの!」なんてことがよくあります。
その状況が変わって、もしも急いでいるわけでなかったら…きっと穏やかに話せそうですよね?
他にも、話をしている間にヒートアップしてしまう時。
怒りのままに態度に出したり話したりした後、少し時間をおいたら、悪かったな、と反省をすることさえあると思います。
怒りは、絶対的なもの、確実なもの、揺るがないもも、不変のものではありません。
同じことが起こっても、ストーリーが違えば、怒るようなことではなくなります。
怒りは、その時その時の非常に気まぐれな感情なので、時間をおけば済むようなことであれば、瞬間的にいちいち怒るのもしんどいだけですし、後で悪いと思うなら言わなければ良いのです。
これが無常です。
怒りが無常であることを思えば、無駄に怒ることなんて空しくなります。
③自己防衛・正当化
傷ついた時、攻撃された時、批判された時には、反発したい気持ちになります。
嫌なことを言われれば、なぜそんなことを言われなければならないのか!そもそも自分を棚に上げてよくそんなことを言えるな!とか。
自分は悪くない、傷ついた自分を守りたい、そういう感情が怒りになります。そんな時は、あるがままの感情をあるがままに認めてあげましょう。
自分が傷ついていることを自分自身で気づいてあげる、守ってあげるとことが大事。
攻撃したくて、意地悪で、怒りたくて、そう怒っているわけでなければ、自分自身の守り方は反発の他にもあるはずです。
相手には違う表現で自分の気持ちをわかってもらえば良いのです。
もっと言えば「そういう言い方をされると傷つく」ということを伝えることで、お互いの態度を改め、お互い感情的にならないことができるかもしれません。
まとめ
①無我:
自分勝手な願いをやめる
②無常:
怒りは不確実なものと捉える
③自己防衛・正当化:
自分を守るために怒ろうとしない
怒りの感情の研究は「アンガーマネジメント」という学問や技術として扱われています。
怒りたいわけでないのに怒ってしまう、悩んでしまう、など思うことがあれば仏教的観点が解決のヒントになるかもしれませんよ!