子どもへの教え方を間違えてみて、モチベーションというものと向き合った話。
うちには4歳3ヶ月と1歳10ヶ月の兄弟がいます。
長男はクイズとか迷路とか間違い探し、いわゆる知恵遊びが好きで、スペック的には、駅名の漢字が読めたり、1桁の足し算ができたり、なかなか出来る子なんです〜、という僕は立派な親バカなんですけど。
「褒められたい」が基本
子どもは、何をするにも褒められたい一心です。
褒められる、というのは、笑いかけられる+認められる+賞賛されること。
そして、逆に褒められないことは、つまらないこと。
例えば、足し算の問題。
1+1=?
この問題の正解はもちろん「2」ですよね。
でも、子どもからしてみれば正解は「褒められること」です。
数字ではありません。
なので、答えは1だろうと11だろうと、「褒めること」が正解になります。
1だった場合は、
「1と1がぴったり重なったら1だね!なるほど、それはすごい!空間的な見方ができるんだね!ちなみに1と1が分かれて続けて数えると2にもなるよね。」とか、
11だった場合は、
「1と1が並んでると11に見えるね!ちゃんと形が足してあるから本当に11だ!正解!!ちなみに1と1が〜略」とか。
この時、指を使って重ねたり並べたりして、おどけたオーバーリアクションで実演すると、なお良いでしょう。
ただ誉め殺しているだけ、というわけではなくて、子どもがこういう答えを出したということは、いつもブロックやカードで遊んでいることが背景にあるんだと思うんです。
そういったオモチャと同じように数字を重ねたり繋げたりする発想になっている、と捉えると、よく考えられていて感心するほどです。
「やらされ」は思考停止
かく言う僕も、この間、考えが及ばず「褒める」という正解を間違えてしまいました。
…不覚。
いつものように長男が知恵遊びの本と鉛筆を持ってきて言います。
「もんだいだしてー」
開かれたページには、10人ほどの幼稚園児が一列に並んだイラスト。
問題は【右から3番目の子どもに丸をつけましょう】。
長男は問題を理解できていないようで、当てずっぽうに「これー?これー?」と指を指します。
僕は「ブー、ハズレー。右から3人目だよ?1の次の、2の次の、3人目だよ?」といった感じ。
しかし、長男はそもそも問題を理解できていないのでヒントも理解できません。
また当てずっぽうに今度はイラストの左のほうを指します。
僕は、よかれと思って「じゃあ一緒にやろう」と鉛筆を持たせた長男の手を上から持って、数えてみました。
「いくよ?1…2…」
僕の想定では、一緒に声を揃えて「いーち、にーぃ、さーん!イエーイ!」となるはずだったのだが…
「もー、できない、パパやってー」
嫌になってしまって力の抜けた腕、長男は思考停止してしまいました。
遠くで見てた妻からも「まだ4歳なんだから…」と諭される始末。
こんなはずでは…。
明るく 楽しく前向きに
僕の間違えてしまったのは「褒めること」をゴールにしなかったこと。
もし「ブー、ハズレー」などと否定だったり、手を持って強制的だったりせず、
「ファイナルアンサー?…いまなら変えられますよー、こっちの方が良いんじゃないですかー?いまなら変えられますよー?…せいかーい!!」
「3択問題です、1番これ、2番これ、3番これ。(間違えたら)じゃあ2択問題にします…」
なんて風に、明るく楽しく前向きに、そして最終的に褒めるようにやってあげれば、問題の正解or不正解なんて関係なくて、楽しい思いだけ残るんでないかな、と思うわけです。
モチベーションを上げる
これは単に子育てとか子どもの勉強法というだけでなく、何にでも言えることなのではないかと、ふと思いました。
仕事でも、妻に対しても、友達に対しても、何かすること・してくれたことには肯定的な態度(笑いかける・認める・賞賛する)をもって接することで、同じ事柄に対しても見方が変わる、モチベーションを上げることができるのではないでしょうか。
モチベーションとか動機付けが大事、とは一般的によく言われますが、根本は「褒めること」。
そして明るく楽しく前向きに正解を導き認識することが、物事への取り組み、やる気、つまるところモチベーションにとって重要なのではないか、と気付かされました。
子どもからは教わってばかりです。